シリーズ『いっそ鯖定食』・第2回

人生の答えとインドカレー

人生の答えとインドカレー

 最近家でカレーばかりつくっている。仁鶴のボンカレーでも秀樹のバーモントカレーでもなく、本格的なインドカレーである。

 でも知識がない。ネットをさがすと「市販ルーでもできる本格インドカレーのつくりかた」を謳うサイトや動画がたくさんひっかかる。でもこの手の情報にはたいてい失望させられるのがオチで、台所をひっくりかえし、汗水たらして小一時間格闘したあげく、期待を胸にスプーンを口にはこぶと、

「オカンがつくる普通のカレーやないかっ!」

となる。

 鶏肉をヨーグルトに漬けこむ。玉ねぎが飴色になるまで炒める。ミキサーにかけたトマトを煮こむ。

 ここでスパイスの投入となるのだが、Youtubeの言う通り「ジャワカレー」を入れてしまうと元も子もない。考えればあたりまえだ。やはり肝心なのはスパイスなのである。

 ターメリックにクミン 、レッドチリ。近所のスーパーで買いあさり、ようやくそれらしくなってきた。

 あとはコリアンダーとカルダモン、牛乳から精製するギー油が入手できればかなり本物に近づくはずだが、少し足踏みしている。

 自分のことだ、買いそろえた頃には飽きてしまうかもしれず、それにあまりカレーが好きではないカミさんに連日食わせるのはさすがに酷だ。こういうことは気長にやったほうがいい。

 でもカレーをつくり出したきっかけは、実はもっと高尚なものだった。

 今も昔も宗教に関心がある。追い求めていたはずの金や名声に対する欲望も最近はだんだんあせてくる。あとに残ったのは、

「結局なんやねん?」

という問いだ。なぜ生きなぜ死ぬのか。このテーマにずいぶん長い間取り組んできたつもりだが、いまだに納得感が得られずにいる。

 宗教を信じられる純朴さはもはやなく、でも他人がどういう落としどころをつけているのかは非常に興味がある。文学や芸術、哲学もそうだ。

「神戸にインドのシク教の寺院があるらしい」

 ネットでそんな情報を得た。毎週日曜に礼拝があり、見学は自由。

 寝ているカミさんを叩き起こし出かけたのが数ヶ月前。何十人ものインド人といっしょに狭い部屋に押しこめられ、意味不明のお経を一時間聞かされたあとに待っていたのが無料の昼食会だった。トレイを持って並ぶと、カレーにごはんにスープ、インド人のおばちゃんがこれでもかとよそってくる。

 シク教はインドでも少数派に属する。カースト制度を否定し、だからこうして「身分関係なく入り乱れていっしょにごはんを食べる」ということが礼拝と同じくらい重要な意味を持つ。

 そこで食べたカレーが異常にうまかったのだ。インド料理店に出てくるような高級感はなく、でも素朴で、まさにインドのオカンのカレー。

 その日から僕はカレーをつくりはじめた。人生の答えは得られず、ただカレーに対する情熱だけが残った。

 本末転倒もはなはだしい。

 でもそういう意外性こそが人生なんだな。

JUNICHIRO TAKANO